第50号 バガバッド・ギーター 第18章(最終章)要約

  • バガバッド・ギーター……第十八(最終)章要約

 祭祀と布施と修行の行為は捨てるべきではない。それは行われるべきである。賢者たちにとって、祭祀と布施と修行は浄化するものである。5

 アルジュナよ、なすべきであると考えて、課せられた義務を、執着と結果とを捨てて行う場合、それは善性的な捨離であり、これを放擲(ほうてき)という。9

 行為の結果は、好ましくないものと、好ましいものと、両者が混じったものとの三種である。放擲しない人々は行為の結果を死後にも持ち越す。しかし放擲者の場合には、死後に行為の結果を持ち越すことはない。12

 人が果報を期待せず、執着を離れ、愛憎なく定められた行為をなすとき、それは善性的な行為と言われる。23

 また、欲望を求める者や、我執を抱く者が、非常に苦労して行為をなすとき、それは動性的な行為と言われる。24

 その行為の損失や加害などの結果や、自己の能力を無視して、迷妄によって企てられた行為は、暗性的な行為と言われる。25

 執着を離れ、自己を誇らず、堅固さと気力を備え、成功不成功に動じない者は善性的な行為者であると言われる。26

 激情的で、行為の成果を求め、貪欲で、加害を性とし、清浄でなく、喜悦と悲しみに満ちた者は、動性的な行為者と言われる。27

 専心せず、凡俗、頑固、狡猾、不実、怠惰、悲観的であり、仕事の遅い者は、暗性的な行為者であると言われる。28

 あなたが我執により、「私は戦わない」と考えても、あなたのその決意は空しい。武人としての性質(プラクリティ)があなたを駆り立てるであろう。59

 アルジュナよ、あなたが迷妄のゆえに、その行為をやめてしまいたくなっても、あなたの根本原質(プラクリティ)は否応なく、あなたにそれを行わせるであろう。60

 なぜなら、最高神は万物の心の中にあり、その幻力(マーヤ)で万物をからくり箱の上の人形のように踊らせるのだ。61

 全身全霊で最高神にのみ庇護を求めよ。アルジュナよ。その恩寵により、あなたは最高の寂静、永遠の境地に達するであろう。62

 信仰を抱き、不満や妬みなく、この対話(バガバッド・ギータ)を聞くだけでも、人は罪悪から解放されて、善行の人々の静寂な世界に達するであろう。71

 アルジュナよ、あなたは一意専心して私の話を聞いたか。あなたの無知から生じた迷いは消え失せたか。72

 アルジュナは言った。

「迷いはなくなった。不滅の方よ。あなたの恩寵により、私は自分を取り戻した。疑惑は去り、私は立ち上がった。あなたの言うとおりにしよう。73」

 

  • 解説……からくり箱の人形

  こうしてついにアルジュナは王位奪回を掛けた親族同士の戦いに臨み、愛弓ガーンディーバを引くのです。61節にあるように、私たちはこの世において神に踊らされているのかも知れません。高い視点から、そのことを認め、自ら踊り子として最高の演技を目指すようギータは諭します。視点の低い無知な者は運命に気づくことなく、神の呼びかけに応えることができません。また我執の強い者は運命に抵抗して空しい努力をするのです。(おわり)

1996年9月18日