第48号 バガバッド・ギーター 第16章要約
- バガバッド・ギーター……第十六章要約
この世界には二種の万物創造がある。すなわち、神的なものと阿修羅的なものである。神的なものはすでに詳しく説かれた。アルジュナよ、阿修羅的な者を私から聞け。6
阿修羅的な人は正しい活動と、その停止を知らない。彼らには、清浄さも、正しい行動様式も、真実も存在しない。7
彼らは言う。「世界は不真実であり、根底がなく、神もない。全てが愛欲から生じるのである。」8
彼らはこの見解に依存し、自己を失い、小知であり、非常に残酷な行為をし、有害であり、世界を滅ぼすために出生する。9
彼らは満たし難い欲望に耽り、偽善と慢心と酔いに満ち、迷妄のために誤った見解に固執し、不浄の信条を抱いて行動する。10
「私は今日これを得た。私はこの願望を達成するであろう。この財産は私のものだ。この財産もまた私のものとなろう。13
私はあの敵を倒した。他の敵も倒してやろう。私は支配者である。享受者である。私は成功し、有力者で、幸福である。14
私は富み、高貴な生まれである。他の誰が私に匹敵するか。私は祭祀を行おう。布施をしよう。大いに楽しもう。」
彼らは無知に迷わされてこのように言う。15
彼らは自惚れ、頑固で、財産におごり酔いしれる。偽善的に、正しい教令に因らず、名前だけの祭祀を行う。17
彼らは我執、尊大さ、欲望、怒りを拠り所とする。妬み深い彼らは自己と他者の身体に真我として宿るこの私を憎んでいる。18
憎悪する彼らは、残酷で最低の人であり、不浄である。私は彼らを輪廻において絶えず阿修羅的な胎内に投げ込む。19
彼らは阿修羅的な胎に入り、生まれるごとに迷妄に陥り、私に達することができず、それから最低の結末である、畜生界に赴く。20
欲望、怒り、貪欲。それは自己を破滅させる三種の地獄の門である。それ故、この三つを捨てるべきである。21
- 解説……阿修羅
私たちの周りには阿修羅的な人が結構いますし、テレビや新聞を連日騒がせているのも彼らです。阿修羅的な人は名声や富を求め、その欲求に正直に行動します。ただ、それが露骨にならないようなカムフラージュを忘れません。それを偽善といいますが、彼らはそれを善だと信じています。彼らは世俗的な意味で成功者と見なされますが、本質的には彼らは苦しみの中にいます。その苦しさを紛らすために、酒や遊びに耽ったり、仕事中毒になって行きます。彼らの心は動性優位であり、醒めた目を持つ人々、善性優位の人に敵意さえ示します。
この世にいる限り、私たちはこの阿修羅的な人と多少は付き合わねばなりません。彼らは私たちの中にある阿修羅的な部分をめざとく嗅ぎつけ、近寄ってきます。また逆に、彼らに近づきたがるのも、私たちの中の阿修羅的な部分です。
私たちは自分の中の阿修羅に気づいていなければなりません。それがどのように自分を行動させようとしているのかを、しっかり監視していなくてはなりません。それができるとき、私たちは阿修羅的な人々と付き合うことができ、場合によっては彼らに自らの阿修羅に気づかせることができるかも知れません。しかし、自信がないなら、彼らとは遠く距離を置くべきです。
1996年9月3日