第26回 エゴオバケ

  • 瞑想ノート……エゴオバケ

 『悩みオバケ①』で「私は悩まない」という人の心の中にはエゴオバケが住んでいて、知らないうちに人を傷つけていることがあると述べました。また『悩みオバケ②』ではオバケに毒を与えているのはエゴであり、そのエゴに気がつくことでオバケが消えると述べました。

 たいていのことは自分で解決し、人に悩みや弱みを見せることなく、常に(虚偽の)自信に満ちている人は、エゴオバケに取りつかれやすいタイプですので十分な注意が必要です。言い換えれば自分に自信がある分、自我が強く、自分が正しくて人は間違っていると思いやすく、他人や自分の気持ちに対する感受性に欠け、場を仕切ろうとします。加えて倫理観が欠如していたりすると、本当にやっかいな人と周りから見られますが、本人は至って平気です。

 このタイプの人は自分で気がつかないうちに様々な問題を創り出しますが、たいていはそれを他人の問題にすり替え、怒ってばかりいて、自分の問題として悩もうとしませんから精神的な成長があまりなく、いつまでも子供です。

 エゴオバケは人の心の中にある不安を土壌として成長します。もし心の中に全く不安というものがないなら、自分を強く見せる必要もなく、自分の正しさを強調する必要もなく、自分の地位や特技にすがる必要もありません。全く不安がないとき、虚偽ではない本当の自信と本当の強さが身に付きます。本当の強さが身に付けば、周りの誰に対しても愛情深くなり、自他の気持ちを汲む余裕が生まれます。人を大事にしますから、場を仕切ろうとする態度もなくなります。

 存在が無条件にそのまま受け入れられているとき、私たちの不安は解消します。エゴオバケに取りつかれている人は、エゴオバケのせいで人から受け入れられ難く、不安からますます自分に頼るようになり、よろいを固くし、エゴオバケを成長させるという悪循環を繰り返します。

 赤ちゃんは母親の絶対的な愛情を必要としますが、大人も赤ちゃんと同じように無条件に受け入れられているという絶対的な愛情が欠かせないのです。しかし残念なことに人に対し絶対的な愛情を注いでくれる人は希有です。ですから自分が自分を絶対的に愛し、受け入れるしかありません。

「このままの自分が一番すばらしい。私はただここにいるだけですばらしいのだ。何も心配はいらない。」と。もしそういうふうに自分を受け入れられたなら、周囲の人を無条件に愛することも困難ではありません。

 エゴオバケはこのように自分の心の奥深くにある不安に気づき、それを自我で塗り固めることによって取り繕う従来のやり方を改め、一切を受け入れることで不安の根本を断つという方法で解消して行きます。もちろん簡単ではありません。最初は誰かに絶対的に受け入れてもらうという体験が必要だと思いますが、瞑想の深いリラックス状態の中で気長に自分を受け入れていくことも可能でしょう。

1996年1月10日