第9回 「深くゆったりとした呼吸」

  • ヨーガ……深くゆったりとした呼吸

 体中の全ての細胞は常に新鮮な酸素を必要としています。特に脳は非常に多くの酸素を消費します。しかし、身体的精神的ストレスにより現代人は浅くて速い不完全な呼吸を行っています。これでは体に十分な酸素を供給できず、疲労を早め、また新たなストレスを生み出すという悪循環に陥ります。プラーナヤーマ(呼吸法、正しくは調気法)を毎日行うことで深くゆったりした呼吸が自然と身に付き、疲労しにくく、活力に満ちあふれた体ができて行きます。また、落ち着きと集中力と機転を兼ね備えた心ができて行きます。

 ところでインドには「人間が一生のうちに行なう呼吸の回数はみな等しい」という言葉があります。ゆったりとした呼吸は健康と長生きの秘訣です。

 

 前に食べた食事が半消化の状態で胃内に残っているのに、次の食事を摂るのは消化力を衰えさせる元です。規則正しく食べることは大事ですが、もし時間になってもまだ空腹でなかったら食べないでいるべきです。

 アーユルヴェーダでは消化に時間がかかる食物を“重性”、食べてもすぐにおなかが減ってしまうような食物を“軽性”といいます。油っぽい食べ物、ナッツ類、ヨーグルト、牛肉などは重性であり、消化に6時間程度かかります。パンなどは軽性で4時間くらいで消化してしまいます。そういうことを頭に入れて、次の食事の時間までに消化しきれる食物の質と量を食べるようにしましょう。また重性の食物を多く摂った場合は、食間に時々白湯をすすることで消化を促進します。

 

  • 瞑想ノート……高い視点に立つ

 私たちは身の回りのあらゆる事に巻き込まれています。嫌な人間関係に巻き込まれたりした経験を想えば、それはすぐに理解できるはずです。また、自分とは関係のないところで起こっている事件にさえ腹を立てたり、心配になったりすることも「巻き込まれ」と言えます。そもそも私たちは自分自身の運命に巻き込まれているのです。

 巻き込まれるとは、渦中にあって、それを離れたところから見ることができない状態を言います。ですから心は穏やかでなく、怒ったり、心配したり、嫉妬したりしているのです。そして瞑想とは、渦中にありながらも、高いところから自分自身を含めた出来事全体を概観することを意味します。高い視点に立ち、感情もエゴも批判も伴わない純粋観照者となり、自分自身や世の中を見つめること、それが瞑想です。

 例えば誰かに対して腹を立てているときに瞑想を行えば、自分の悪いところ、相手の悪いところ、そして両者の関係が同時に見えるでしょう。巻き込まれている状態では相手を変えることだけを考えがちです。しかもそれがうまく行かないものですからよけいに腹が立ちます。しかし高い視点に立てば、自分が変わるか、関わり方を変えればよいのだという智恵がひらめき、その時点で渦中から脱し、腹立ちも納まっているのです。

 また、常識というものを考えるときに、それが必ずしも高い視点に立って導き出されたものではないことに気が付きます。常識とは少し低い視点から人間や社会を眺めた結果を無節操に集めたものに過ぎません。常識は私たちの自由を束縛し、迷わせるものとさえ言えます。しかし人間は迷いの中に安住し、そこから抜け出すのを拒む存在でもあります。ぜひ、そのことに気づいて下さい。

 高い視点に立つとは、常識を超えて、絶対に動くことのない真理を自らの基準とすることです。例えば「死」という絶対的な真理を基準に自分や社会をとらえ直して見ることです。とらえ直す過程でまた新たな真理に遭遇したりしながら、次第に常識に捕らわれた状態から私たちは解放されて行くでしょう。

1995年6月26日