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第49号 バガバッド・ギーター 第17章要約

  • バガバッド・ギーター……十七章要約

 人々の信仰は三種である。すなわち、善性的、動性的、暗性的な信仰である。2

 アルジュナよ、全ての者の信仰はその要素(グナ)に対応する。人間は、その信じるところに沿ったものになる。3

 善性的な人々は神々を供養し、動性的な人々は夜叉や羅刹を供養する。他の暗性的な人々は、餓鬼や鬼霊の群を供養する。4

 また、全ての者が好む食物も三種である。祭祀、修行、布施も同様である。7

 生命力、勇気、力、健康、幸福、喜びを増大させ、美味、油質で、腹持ちがよく、心地よい食物は善性的な者に好まれる。8

 過度に苦く、酸っぱく、塩辛く、辛く、刺激性で、油気がなく、ひりひりし、苦痛と憂いと病気をもたらす食物は、動性者に好まれる。9

 新鮮でなく、味を失い、悪臭あり、前日調理された、また食べ残しの、不浄の食べ物は、暗性者に好まれる。10

 果報を期待せず、ただ祭祀すべきであるとのみ考えて心を統一し、教令に示されたようにを行う場合、それは善性的な祭祀である。11

 一方、果報を意図して、偽善のために祭祀を行う場合、それを動性的な祭祀であると知れ。12

 教令に従わず、食物が配布されず、経文がなく、報酬が支払われず、信仰を欠いた祭祀、それを暗性的な祭祀と称する。13

 神々やバラモン、師匠、知者への崇拝、清浄、廉直、禁欲、不殺生、以上は身体的な修行と言われる。14

 不安を起こさせない、真実で、好ましい有益な言葉、及び、ヴェーダ学習の常修、以上は言語的な修行と言われる。15

 心の平安と清浄、温和、沈黙、自己抑制、以上は心的な修行と言われる。16

 人々が果報を期待せず、専心して、最高の信仰をもって三種の修行を行った場合、それを善性的な修行と称する。17

 接待、尊敬、崇拝を得るために偽善により行われる修行は、動揺し不確実であり、動性的な苦行と呼ばれる。18

 つまらない考えに固執し、自己を苦しめたり他者を滅ぼすために行われる修行は、暗性的な修行と呼ばれる。19

 善性的な布施は、場所と時間が適切であり、見返りが期待できない相手に対し、与えてしかるべきと考えて与えられる。20

 動性的な布施は、果報を意図し、見返りを望んで、渋々与えられる。21

 暗性的な布施は、不適切な相手に対して、不適切な場所と時間において、敬意を表さず、軽蔑して与えられる。22

 

  • 解説……布施

 布施と言えば法事、葬式の代金みたいに考えられ、動性的に受け渡しされることが多い昨今です。しかし元来、布施は金銭に限りませんし、儀式(祭祀)の時だけというものでもありません。18節にあるように、「場所と時間が適切であり、見返りが期待できない相手に対し、与えてしかるべきと考えて与えられる」のが本来の布施なのです。例えば、誰かと出会ったときにニコッと笑えば、それは立派な布施です。本当にそう思って誰かを褒めるとしたら、しかもその場所とタイミングが適切であれば、それも布施です。そう思えば私たちは毎日、家庭で、職場で、地域で、善性の布施をし続けることが可能です。その功徳は大変なものになるでしょう。中元、歳暮の類も布施ですが、動性、暗性の動機で贈られていないか注意したいものです。

1996年9月10日