第45回 バガバッド・ギーター 15 第7章要約

  • バガバッド・ギーター……第七章要約

 クリシュナは告げた。

 アルジュナよ、私(神)に心を結びつけ、私に帰依してヨーガを修めれば、あなたは疑いなく完全に私を知るであろう。それにはどうすればよいか、聞きなさい。1

 それを知れば、この世には他に知るべきことは何も残っていない。2

 私は全世界の本源であり終末である。6

 私は水における味である。私は月と太陽における光である。8

 私を万物のエッセンスであり、永遠の種子であると知れ。10

 善性(サットヴァ)的、動性(ラジャス)的、暗性(タマス)的な状態は、まさに私から生ずると知れ。しかし私はそれらの中にはなく、それらが私の中にある。12

 これら三種の要素(グナ)からなる状態により、この全世界は迷わされている。そして、これらよりも高く、不変である私を理解し得ない。13

 実に、これらの要素からなる私の神的な幻力(マーヤ)は超え難い。ただ私に帰依する人々は、この幻力を超える。14

 悪をなす迷える最低の人々は私に帰依しない。その知識は幻力に奪われ、心千々に乱れた阿修羅的な状態に止まる。15

 アルジュナよ、四種の善行者が私を信愛する。すなわち、悩める人、知識を求める人、利益を求める人、知識ある人である。16

 彼らのうち、知識ある人が優れている。彼は常に私(神)に専心し、ひたむきな信愛(バクティ)を抱く。そして私にとっても彼は愛しい。17

 幾多の生の最後に、人は知識を得て、私が全てであると考え、私に帰依する。そのような偉大な人は非常に得られがたい。19

 種々の欲望によりその知識を奪われた人々は、各自の属性(プラクリティ)により各々の神仏に帰依し、そこで定められた戒律や修行法に従事する。20

 それぞれの信者が、信仰を持ってそれぞれの神仏を崇めようとするとき、各々の信仰心を揺るがぬものにせしめているのはこの私である。21

 彼はその信仰と結ばれ、その神仏を満足させることを望み、その後、諸々の願望が叶えられる。そのとき、それらの願望を叶えているのはこの私である。22

 しかし、これら各々の神仏に帰依する小知の人々の得る果報は有限である。神仏を崇める人々は神仏に至り、私を信愛する人は私に至ることができる。23

 私は本来、姿を持たない。しかし無知な人々は、私の偶像を求める。彼らは非顕現であるからこそ不変であり至高である私の最高の状態を知ることがない。24

 無知、小知の者は属性による幻力に覆われた私を明瞭に見ることができない。25

 

  • 解説……幻力

 目に見えるこの世界は全て、神の幻力(マーヤ)によって生じたものである、というのがヨーガ的世界観です。見るもの聞くもの全てが幻であって、私たちはその幻に惑わされて、なかなか真理を見出せない状態にあるわけです。仏教道教も同様の世界観を持っています。

 真に目覚めた人のみが幻の奥に隠された真理の世界を知ります。知識ある人とは、そういう人を指します。禅に「明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)」という言葉がありますが、目覚めた人にとっては真理は手に取るように明らかであるのに、幻力に惑わされる人は、たとえば砂粒が全てダイヤモンドであったとして、それに気づかず、不満の内に暮らすのです。

 それにしても、なぜ神が幻力をもって人々を惑わすのか、そこをよく考えて下さい。

1996年7月16日