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第43回 バガバッド・ギーター 13 第5章要約

  • バガバッド・ギーター・・・・第五章要約

 行為のヨーガに専心した者は、行為の結果を捨て、究極の寂静に達する。専心しない者は、欲望のままに、結果に執着して束縛される。12

 すべての行為を意識により神に捧げるとき、主体である真我はその住処である身体に安らかに座す。真我は何も行為をせず、行為をさせるでもない。13

 真我は、身体の行為者たる状態とも、行為そのものとも、そして行為の結果とも結びつくことがない。14

 だから真我は罪悪を受けることがなく、善行の報いを受けることもない。しかしそうした智慧も無知に覆われているので、自分自身が罪悪や善行の報いを受けていると思い、迷うのだ。15

 しかし、智慧により彼らの真我に対する無知が滅せられたとき、彼らの智慧は太陽のように、最高の存在である真我を照らし出す。16

 真我に知性を向け、そこを帰結とし、それに専念する人々は、智慧によりカルマを滅し、解脱に至る。17

 智慧が確立し、迷妄なく、絶対神を知り、絶対神に意識を定めている人は、好ましいものを得ても喜ばず、好ましくないものを得ても嫌悪しない。20

 外界との接触に執心せず、自己の内に幸福を見出し、絶対神との結合のヨーガに専心した者は不滅の幸福を得る。21

 実に、外界との接触から生ずる諸々の享楽は、苦を生むものに過ぎず、始めと終わりのあるものであり、永遠性に欠ける。アルジュナよ、智者はそれらを楽しまない。22

 内に幸福あり、内に楽しみあり、内に光明あるヨギは、絶対神と一体化し、肉体から離れるときに絶対神の世界に達する。24

 智慧によりカルマを滅し、絶対神に対する疑惑を断ち、自己を制御し、すべての生類の幸せを喜ぶ聖仙たちは、肉体から離れるときに絶対神の世界に達する。25

 礼拝と行為のすべては私(神)に捧げられるべきであると知り、また私を全世界の偉大な主、すべての生類の友であると知れば、寂静に達する。29

 

  • 解説・・・・・真我との出会い

 真我という、自分の中にある存在の根本に出会わないことには、ヨーガの世界は見えて来ません。また、真我を自覚するとき、明らかに様々なものに対する見方が変化します。真我との出会いは、少しずつ真我を覆っている雲を取り除いて行く作業に他なりません。

 その作業は日々のヨーガ実践や、社会生活や人間関係を営む上での様々な努力や智恵によって一歩一歩進められます。雲とは、すなわち自我から生じた我が儘な思いであったり、真理に対する無知であり、瞑想中に胸の感覚に集中すれば、実際に内なる光(真我)を覆う雲として自覚されるものです。台風一過のように、何かの拍子で突然雲が晴れて、気持ちが踊り出すこともありますが、それはまた何かの拍子で雲に覆われます。日々、胸の辺りの感覚に注意を向け、その晴れ具合、曇り具合を把握し、曇りならば、その原因を探り、いかに晴れさせるかを考えながら、少しずつ智恵を蓄えて行くとき、次第に真我との邂逅を見ることでしょう。

 真我を自覚するとき、我が身に何が起ころうとも、我が身のみを嘆くことなく、我が身のみを喜ぶこともなく、すべてのものに友情を感じながら生活できることでしょう。

1996年7月1日