第36号 バガバッド・ギーター 6 理論によるヨーガ

  • バガバッド・ギーター……第二章(54~63) 理論によるヨーガ

 アルジュナはたずねた。

「クリシュナよ、智慧が確立し、三昧の境地にある人はどんな特徴をもっているのか。智慧を確立した人はどのように語り、どのように座し、どのように歩むのか。」54

 

 聖バガバッド(クリシュナ)は告げた。

 アルジュナよ、意識の中にあるすべての欲望を捨て、自己の本質(真我)のみに至福を感じるとき、その人は智慧が確立したと言われる。55

 不幸において悩まず、幸福を切望することなく、愛執、恐怖、怒りを離れた人は、智慧が確立した聖者と言われる。56

 すべてのものに愛着なく、善を喜ぶことも、悪を憎むこともない人、その人の智慧は確立している。57

 亀が頭や手足をすべて収めるように、五感の対象物から五感を引きこもらせるとき、その人の智慧は確立している。58

 断食をする人は、食べたいという思いから、味という感覚だけが残り、他の感覚は消滅している。それと同じように、最高の神を見るとき、すべての感覚は消滅する。59

 しかしアルジュナよ、賢明な人が努力しても、五感は彼をかき乱し、彼の心を力ずくで奪ってしまう。60

 五感を全て制御して、精神を統一し、神に専念して座るべきである。五感を制御した人の智慧は確立する。61

 人が五感の対象物を思い浮かべるとき、それらに対する執着が生じる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる。62

 怒りから妄念が生じ、妄念から理性が混乱する。理性の混乱から知性が喪失し、知性の喪失から人は破滅する。63

 

  • 解説……智慧の確立

 ギータのこの部分を読めば、智慧の確立とは人間的な部分を捨てること、つまり凡人には不可能であることが容易に理解できると思います。しかし理論的には非常にすっきりしていて、智慧の確立、つまり解脱に至るには五感を制御し、一心に真我(内なる神)に専念するのみなのだと説いています。こういう努力をした人が初めて、人間の中に神性と人間性が矛盾しつつ同居しているという事実に気づき、このどうにもならない人間性をも受容していこうという、大乗仏教的な救いに開眼するのです。

 最後の62、63節は有名な、耳の痛いフレーズです。よく噛みしめてください。

1996年4月14日