第34回 バガバッド・ギーター 4 理論によるヨーガ

  • バガバッド・ギーター……第二章(25~38) 理論によるヨーガ

 アートマンはその姿を現すことがないので認識されることがない。不可思議で、不変であると言われている。アートマンとはそのようなものなのだから、あなたは嘆くべきではない。25

 仮に肉体が死ぬときアートマンも死に、肉体が生まれるときアートマンも生まれると、あなたが考えたとしても、あなたはそのことについて嘆くべきではない。26

 なぜなら生まれた者に死は必然であり、死んだ者に生は必然なのだ。避けられないことについて嘆くべきではない。27

 すべてのものは生じる前は姿がなく、生じた後には姿があり、消滅した後はまた姿が失せる。この当たり前のことをなぜ嘆くのか。28

 ごく少数の人がアートマンを体験し、ごく少数の人がアートマンについて語り、ごく少数の人がアートマンについて聞く。大半の人はアートマンのことを知らない。29

 どんな人の身体にもアートマンは宿り、それ故に決して殺されることがない。だから万物が生まれ、そして滅することについて嘆くべきではない。30

 そしてまた、あなたは自己の義務(ダルマ)を考慮しても、今この戦いにおいて怯むべきではない。武士は戦うことを義務としているのだから。31

 武士は戦って死ねば天界に行けると云われている。アルジュナよ、幸運な武士にのみこのような戦いの場が与えられるのだ。32

 もし、この戦いを行わなければ、あなたは義務と名誉を捨てたとして罪悪を得るだろう。33

 人々はあなたの不名誉を永遠に語るだろう。そして、名のある人にとって不名誉は死よりも劣る。34

武士たちは、あなたが恐怖から戦いを止めたと思うだろう。あなたは彼らに敬われていたのに、軽蔑されることになろう。35

 また、あなたの敵はあなたの能力を難じ、語るべきでないような多くのことを言いふらすだろう。これほど辛いことがあろうか。36

 あなたは殺されれば天界に行き、勝利すれば王族として地上を享受するだろう。だからアルジュナよ、立ち上がれ。戦う決意をして。37

 苦楽、得失、勝敗に惑わされるな、それらを同一のものと見て、戦いの準備をせよ。勝つために戦うのでも、負けを恐れて戦うのでもない。そうすればあなたは罪悪を負うことはない。38

 

  • 解説……義務と罪悪

 義務のことをインドの言葉で「ダルマ」と言います。これには法という訳語もよく使われます。「人間がこの社会において守るべき道徳、そして遂行するべき義務」という意味です。さて、クリシュナはアルジュナに「武士なら武士らしくその義務を果たせ」と説教しています。アルジュナはたまたま武士なのですが、私たちは家庭人であり、会社員であり、社会人であり、日本人であり、地球人であり、男であり、女でありますから、それなりの義務を果たすべきであると、クリシュナは私たちに言うことでしょう。また、人間として人格を発達させること、健康を維持することも私たちの重要な義務でしょう。

 武士の義務を果たすために、親族を殺さなければならないというジレンマにアルジュナは苦しんでいますが、クリシュナは「肉体は死んでも、アートマンは死なない」という論理でアルジュナを鼓舞します。

 毛沢東はギータのこの部分を利用して革命を推進しました。オーム真理教もこの論理を悪用して、簡単に人を殺してしまいます。しかし彼らは自分の利益のために行動を起こしています。そこがギータの論理からはずれるのです。ギータでは38節以降、結果(たとえば自分の利益)を行動の動機としないことを繰り返し説きます。38節にあるように、ただ義務から行為をすれば、罪悪を問われることはないのです。(もちろん感情の問題は残りますが)オーム裁判でもそこが大きな争点になることは間違いありません。

1996年3月24日