第33回 バガバッド・ギーター 3 理論によるヨーガ

  • バガバッド・ギーター……第二章(14~24) 理論によるヨーガ

 アルジュナよ、現世において、つまり魂が肉体を得ている間、否応なく、我らはさまざまな環境に接触し、それらは我らに苦楽や寒暑をもたらす。それらは来たと思えば去り、去ったかと思えばまた来て、定まることがない、無常のものである。それらに耐えよ、アルジュナ。14

 そうした苦楽や寒暑に出会っても、一向に心乱れることなく、いつも同じ気持ちでいられる者こそが賢者である。15

 滅んだり、生まれ変わったりする肉体は真に存在しているとは言えない。真我(アートマン)こそが真の存在である。この違いをはっきりと知らなければならない。16

 全世界は永遠不滅の存在(ブラフマン)で満たされている。この存在を滅ぼすことは誰にもできない。17

 身体は有限であるが、それに宿るアートマンは滅びることがない。だから戦うのだ、アルジュナ。18

 このことを良く理解していない者は、殺すとか、殺されるという意識を持つが、真の存在であるアートマンは殺しも、殺されもしない。19

 アートマンは生まれることがないので、死ぬこともない。不生、永遠、不滅であり、太古から存在している。身体が殺されても、アートマンが殺されることはない。20

 そうと知っている者にとって、殺すも殺されるも意味を成さない。21

 人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、アートマンは古い身体を捨て、他の新しい身体を着るのだ。22

 武器がアートマンを断つことなく、火がそれを焼くこともない。水がそれを濡らすことなく、風もそれを乾かさない。23

 アートマンは断たれず、焼かれず、濡らされず、乾かされない。アートマンは常住であり、遍在し、堅固であり、不動であり、永遠である。24

 

 アートマン(真我)とは私たち人間の根本存在です。インド哲学では無常のものは真に存在してはいないと説きます。つまり私たちの肉体や心、また財産などは常に変化しているので、本当には存在してはいないと考えるのです。また、肉体や心、財産など、不安定なものに執着すれば当然迷いを生じます。

 それでは信頼に足り、執着するに足る、本当の存在とは何だろうかという疑問が生じます。人間の中に何か絶対的で、永遠不滅で、不変のものがあるのでしょうか。

 あると唱える学者たちはそれをアートマンと名付けました。そして人間だけでなく、すべての生物、無生物に同じ根本存在が宿っていると考え、それをブラフマン(絶対神)と名付けました。つまり人間の中に宿るブラフマンを特にアートマンと呼んでいるのです。アートマンブラフマンは同意義です。そしてヨーガ修行者とは、このアートマンを見いだし、体験しようと努力している人たちのことを言います。

 一方で他の学者は、人間の中に、または世の中に永遠不滅、絶対不変のものなどないと考えます。あるものは他のものとの関わりの中に相対的に存在しているのみであると考えるのです。この考えを仏教では「縁起」と呼びます。たとえば人の性格にしても、会う人によって自分自身が違う性格になるように思うことがあります。一体自分の本当の性格は何なのだろうかと考えたりします。しかし「縁起」の考え方によれば、元もと本当の性格などなく、一緒にいる相手によって、自分の取るべき態度、性格を定めているのです。

 私見では、通常の世界では縁起の考え方を適用し、少し超越的な部分ではアートマンのような絶対存在を考えるのが良いように思っています。

1996年3月18日