第16回 「勧戒③ 苦行」

 人間の感覚器官の中で最も大事なのは目です。できるだけ視力を衰えさせないように目の健康維持に努めたいものです。アーユルヴェーダでは「ギー」という油を使った目の健康法を奨励しています。

 まずギーの作り方から説明しましょう。無塩バターを鍋に入れ弱火で沸騰させ続けると、水分が泡となって上がってきてアクのようになりますので、これをすくって捨てます。約十分程度でバターの色が黄金色に変わり、少し香りが変化した頃を見計らって火を止め別な容器に移します。このとき沈殿物があるようでしたら、上澄みだけを容器に入れます。冷めればまた固まります。

 片方の目がすっぽりはまるような小さなグラスに25度くらいに暖めて溶かしたギーを10~15ccほど入れます。グラスを片目に当ててそのまま真上を向いて、ときどき静かに瞬きをしながら2~5分そのままでいます。もちろん両目をやってください。30分くらい目がかすみますが次第に涙でギーが洗い流されてはっきり見えるようになります。視力が向上し、目の疲れが取れているのが分かります。緑内障にも効果があるようです。本格的にはあおむけに寝て強力粉で目の回りに土手を作り、ギーを流し込みます。助手が必要でしょう。

 目はピッタ(火の要素)が多いところで、目がすぐに熱くなったり、目に情熱が見えたり、反対に冷たい目といわれたりするのはそのためです。ところが目を使いすぎるとピッタが過剰になり、眼球が熱を持ちます。ですから目は普通は冷やした方がよいのです。鼻はカパ(水の要素)、耳はヴァータ(風の要素)が多いところで、両者とも暖めた方がよいです。ギーは最も効率的にピッタを抑制します。しかしピッタが少なくなりすぎても視力は保てませんので、あまり頻繁にギーを入れるのは良くありません。週に1~2回程度です。

 

  • 瞑想ノート……勧戒③ 苦行

 苦行の一般的なイメージは肉体的に辛い修行をすることで精神的に高まって行く、というものではないでしょうか。滝に打たれるとか、何日もをほどくことなく瞑想し続けるとか、断食を続けるとか、山々を歩き続けるとか、はたまた土の中に潜る、水の中で瞑想するといったものです。インドには一生立ったままで生活するとか、一生片腕を上に挙げたままで生活するとか、奇妙な苦行を自らに課してそれを信仰の証としている修行者が今でも存在しています。

 お釈迦様もこういった苦行を悟りをひらくまでの六年間繰り返し、そして最後に、今まで行ったすべての苦行は無駄であったと述懐しています。私たちも無駄な苦労をたくさんしていることと思います。後で考えれば全くくだらないことで右往左往していたなと思うことがしょっちゅうです。しかし本当にそれが無駄であったかというと、決してそうではないと思います。非常に貴重な何かを「無駄な苦労」の中から得ているはずです。

 少なくとも苦労をしている間は一生懸命「無駄」をやっているわけで、後でそれが無駄であると分かるためにはそれだけの無駄が必要であったということです。そして後でそのことに気づいたということが非常に貴重なのです。

 私たちが日常で経験する苦労をすべて「苦行」と言い換えてみてはどうでしょうか。実際、生活の中で背負わなくてはならない苦労は場合によっては滝に打たれるよりも、土に潜るよりも辛いこともあるでしょう。つまり生活すること自体が苦行そのものなのです。今直面している苦労は自分を精神的に高めてくれる苦行であり、そしてそれは「大いなる無駄」であると考えてみましょう。きっと苦行の一つ一つが輝きだし、もっと積極的に辛いことに取り組めるようになると思います。

1995年9月17日