第11回 「禁戒② 正直」

 早食いもゆっくり食べ過ぎるのも良くありません。急いで食べた場合は粘稠性のカパ(水の性質)の分泌によって“濡れる”働きが充分に行われないので、食物の本来の栄養が充分に吸収できません。胃の中に収まった感じもありませんし、何より食事のおいしさや満足感がわからなくなります。

 ゆっくり食べ過ぎるのも本当の満足には至りません。食べはじめの食物と後で食べた食物が一緒になって、不均等な消化になります。アーユルヴェーダでは一食に24分くらいかけるのが最もよいとしています。

 

  • 瞑想ノート……禁戒② 正直

 前回は非暴力について述べました。ヨーガ・スートラというヨーガの根本教典には「非暴力の戒行に徹したなら、その人のそばでは全ての者が敵意を捨てる」(2-35)とあります。

 さて、今回は「正直」についてです。「嘘も方便」という場合は別として、嘘をついてはいけません。また、言葉と行動が一致していることも大切です。嘘つきと言動不一致の人が世間から信用されなくなるのはすぐにわかることです。しかし正直という戒行において私が最も大事に思うのは「自分の気持ちに正直である」ということです。

 小さな子供は自分の気持ちのままに笑い、泣き、甘え、そして遊びます。子供に接しているときの楽しさはあの正直さ、あの自然さによるのではないでしょうか。子供は気持ちがストレートに行動や表情に現れます。それは自然のまま、あるがままでもありますが、わがままでもあります。

 人間は成長に連れて行動を周囲や環境に合わせるように思考を働かせるようになります。次第に気持ちは置き去りにされ、無視され、やがては気持ちは自己主張を諦め、小さく固まってしまいます。ますます人は自分の気持ちに気づけなくなり、ましてや他人の気持ちなどわかるはずもありません。そういう人が外でバリバリ仕事をしても、大きな目で見ると実際は何一つなせず、ただ世の中を疲弊させているだけということはないでしょうか。

 小さく固まってはけ口のない気持ちは最大のストレスの原因となります。それは実にさまざまな病気を引き起こします。それで入院をきっかけに少し内省的になり、自分の気持ちに気づくようになったりします。病気が大切なことを教えてくれるのです。ですから正直の戒行は最大の健康法でもあります。

 瞑想はあるがままの自分の本当の気持ちに気づかせてくれます。私たちは瞑想を続けることによって、子供のような自然さを取り戻すことができます。それでいてわがままに陥ることはありません。大人はわがままを言いたいその気持ちの奥にある自我をも見通す判断力や知性を持っているからです。わがままな人が必ずしも自分の気持ちに正直であるとは限りません。ただ、執着に心惑わされ、知性を欠いているだけの場合の方が多いようです。

1995年7月15日