第10回 「禁戒① 非暴力」

  • ヨーガ……禁戒① 非暴力

 ヨーガを行っているうちに心が穏やかになってきて次第に暴力的な行為や考えは減ってきますが、ヨーガから離れたり、ストレスが多くなるとまたもとの状態に戻って行きます。不退転(もう元に戻らないこと)に至るには、いつどんなときに自分が暴力的になり、それが人にどう影響を与えるのか、はっきりと考察しておく必要があります。これがヨーガ修行の第一段の第一項である「非暴力(ahimsa)」です。

 まず、身体的な暴力をしないこと、これには不殺生も含まれます。そして、言葉の暴力をしないこと。故意に人を傷つけることを言ってはいけませんし、不注意で言ってしまうようなことも避けます。さらに、暴力的なことを考えるのもやめます。考えていれば、それが行為に移される可能性もあるからです。

 しかし、非暴力は完全に守れるものではありません。蚊一匹殺さないというわけには行かないのです。できる範囲で実践すること、常に「非暴力」の看板を掲げておくことが大切です。

 

 暖かい食事はよりおいしく感じられ、消化が促進されます。また腸の蠕動を正しく起こし、ガスでおなかが膨らんだりすることがありません。暖かい食事とは調理したてを意味します。特に精神の向上を目指して生活する人は、調理後三時間以上たったものは食べないようにせよとインド哲学の古典には記してあります。そういう意味で「冷凍・冷蔵→電子レンジ」食品は暖かくはあっても健康的とは言えないかも知れません。実際、私たちは本当の調理したてをもっともおいしいと感じるはずです。

 夏の昼食などはそうめんなど冷たい食べ物が欲しくなりますが、食事全体を冷たいものにするのは良くありません。普段より少し温度の低い、消化しやすい食品を食べると良いです。

 冷たい水は消化力を弱くしますし、だいたいに冷たい飲料は体を太らせます。アイスコーヒーなどは口の中は冷たくなりますが、体は逆に暖まります。反対にホットミルクは飲んだ後で体を冷やしますので、夏にはどの体質の人にもホットミルクが勧められるとアーユルヴェーダでは言います。

 

  • 瞑想ノート……祈りと感謝

 信仰を持たない人が祈るということはあまりないかも知れません。しかし、本来祈りは信仰とも宗教とも無関係な心の自然な発露です。何とかしたいけど、どうにもできない、手の出しようのないことを私たちはたくさん経験します。例えば孫のことで悩んでいるおばあさんは、両親に口出ししたくなります。しかしこれは厳に慎まれるべきことです。このおばあさんにできるのは祈ることのみです。特に瞑想中に祈るとき私たちは心の平安を感じます。これが祈りの最大の効果です。しかし、祈りが通じることを期待してはいけません。期待すればまた心が乱れるからです。

 感謝するとき私たちの心は理想的な状態になっています。これを善性の状態といいます。心身ともに健康を保っていれば、心は次第に善性になり、何にでも感謝できるようになります。逆に言えば何かと不満が多いのは不健康の証拠です。これを心の暗性状態といいます。また、忙しく、落ち着きのない心の状態を動性状態といいます。

 深く瞑想して自分自身や、世の中、自然界を見つめるとき、全ての自分を取り巻く環境が私たちの精神的成長を促していることに気が付きます。そのとき私たちは、道ばたの草花に感謝し、幸も不幸も提供してくれる回りの人たちに感謝し、自分の身を包む服や、身の回りの小道具にさえ感謝することができるようになります。

 ところで、心が善性であれば祈りの質も高まります。質の高い祈りはすぐさま叶えられるか、祈りの途中で、それがすでに叶えられていることを悟るでしょう。そのとき祈りと感謝は同質のものとなるのです。